2008年10月12日

信長、秀吉、家康の知られざる一面 TBSラジオより

午前中、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」を聞いておりました。

今日のゲストは名前は忘れてしまったのですが、歴史学者さん。

戦国時代の3大武将、信長、秀吉、家康についての、
興味深い話だったので書いておきます。



1.織田信長は、占い好きだった!

織田信長といえば、超合理主義者、占いは真っ向から否定していた、と思われがちです。

信長はたしかに占いを信じていなかったらしいのですが、「占いが本当に当たっているかどうか」を調べてみたそうです。

信長が天下を制圧しかかっていた頃、彼は、自分の生年月日が同じで、生まれた時刻も同じ男がいないか、おふれを出して探しました。すると、信長と生年月日が全く同じ男が一人だけいたそうです。

もし生年月日で占う占いが正しければ、信長とその男は同じ運命をたどるはず。信長はそう考え、その男を城に招き、いろいろと質問します。ところが、その男は極貧生活をしていて、天下を取ろうとしている信長とは全く違っていました。

信長はその男に「私とお前では全く違うな」と言います。すると男は言います。

「いえ、ひとつだけ同じところがございます。信長様は天下を取る勢いの身分で、明日もまたきっと楽しくお過ごしになられるでしょう。

私は極貧の生活で、明日もまたきっと苦しい一日でしょう。でも明日が、実際はどんな明日になるかは、信長様にも私にも分かりません。そこだけは同じでございます。」

これは聞いた信長は、いたく感心して、この男にたくさんのお金を与えて返したそうです。


2.秀吉はプレゼント魔だった!

豊臣秀吉は、その当時の成人男性の平均身長約160センチだったのに比べ、140センチだったそうです。

また、体毛があまりなかったそうで、晩年の肖像画の髭もつけひげだったらしいそうです。そんな秀吉が、実は女性には大変モテたそうなんです。

彼は正室、側室を問わず、手紙を書いたりプレゼントを贈ったり、それはそれはまめだったとの事。

例えば、女性への手紙の内容「これから帰る。口、吸いたもうぞ{キスしたい)」。
(帰宅する時、奥さんに「今から帰るよ。キスしようね。」なんてメール、出せますか。すごいよ秀吉)


10代の側室へのプレゼントでは、生きている鶴を贈ったとか。ところが、この女性にはデートを断わられたとのことです。

また、晩年、加齢のためと思われますが、歯が抜けると家臣に「歯が抜けた。ぬしにやる」と言って抜けた歯をあげています。

もらった家臣は「秀吉様の歯」として家宝にしたとか。こんなところにも秀吉の優れた人身掌握術がみてとれるということです。


3.水泳が上手だった家康!

天下を獲った家康。彼は非常に教育熱心だったそうです。

息子の秀忠、戦に勝つ剣術を学んでいたところ、家康は剣術を止めさせます。

「戦いは部下に任せておけばよい。大将は逃げる術を身に付けておけ」

「刀や槍は家臣が代わってやってくれる。戦は場合によっては逃げなければならない時もある。山や川を下っていく時、馬に乗ることや川を泳ぐことは代わってもらえない。だから馬術と水泳をやれ」

家康のこの教育方針によって、徳川家は少なくとも3代目ぐらいまで水泳が本当に上手だったそうです。

尾張藩の古文書によると、尾張藩主は川の中で立ち泳ぎをしながら弁当を食べた、という記録も残っているそうです。


信長、秀吉、家康。三人三様ですね。
信長の占いの話が一番興味深かったです。




posted by hyg-27 at 16:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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