2008年11月10日

命の授業 NHK文化講演会より

日本シリーズの真っ只中、NHKラジオ・文化講演会を聞いてました。

タイトルは「命の授業 いのちのバトンタッチ」。
NPOいのちをバトンタッチする会、代表の鈴木中人氏のお話でした。




長女の景子が小児がんを発病させたのは4歳の時。

腹部に腫瘍ができていた。
手術、抗がん剤、点滴の治療を約2年。

病室から「針いやだぁー、針いやだぁー」と景子が泣き叫ぶ。
妻はそれを聞くと、トイレに駆け込んで泣いた。

今は注射針は進歩して痛くない針だが、当時はまだそうではなかった。
まして、幼児の血管は細く、看護士が何度試みても血管にうまく入らないことがあった。
何回も腕に注射をしていると、次第に腕に打てなくなる。
そうすると最後は指に注射をした。

最初の頃は泣き叫んでいたが、やがて、指に注射をされてもじっと我慢するようになった。

入院治療が順調に進み、「幼稚園に通ってもいいよ」と先生から言われると、
景子は「やったぁ、私、幼稚園に行くんだよー」と大きな声ではしゃぎながら、
室内を走り回った。

小児がんの病棟には、景子と同じように長期入院で、幼稚園に行けない子どもたちが何人もいた。
そういう子どもたち、本当は自分も行きたいだろうに景子に「良かったね」と声をかけてくれた。

小児がんの子どもを幼稚園は受け入れてくれるのだろうか。
心配だったので、最初、市に相談に行った。
窓口で応対した若い職員は、上司としばらく相談した後、こう言った。
「ここでは、障害者のためのサービス、対応はしていません。そういった事は直接幼稚園と相談してください。」

激しい怒りがこみ上げた。何のための行政なのか。だが、ここで怒ってしまっては景子に迷惑がかかる。大人の論理、おとなしく引き下がって、景子と一緒に幼稚園に行った。

幼稚園の園長は、「景子ちゃん、お父さん、今までよくがんばってこられましたね。園に通うのは全く問題ありませんよ。」と言ってくれた。嬉しかった。

こうして幼稚園に通うことになったが、通院治療は引き続き行っていたので、月に15日ほどしか行けなかった。

景子が行くと、幼稚園の女の子2人ぐらいで交代で「景子ちゃん当番」を作ってくれて、1日じゅう景子の面倒をみてくれた。

治療は2年近くにわたったが、終わりに近づきつつあった。
最終的な検査をした結果、腹部の腫瘍が無くなり、体の他の部分にも転移してない事が確認された。

念のため、最後に脳の検査をしたところ、脳にがんが見つかった。
すぐに開頭手術をして治療したが、医師からは「余命は月単位」と宣告される。

景子の事で、妻と話し合った。
・景子の前では絶対に泣かないこと。
・景子の最後をしっかりと看取る。

妻は一晩中、泣いていた。
自分のお腹を痛めた子が、自分より早く死んでしまうこと。どうしようもない現実を受け入れることがつらかった。

余命宣告を受けた後、幼稚園を卒業した景子は、小学校に入学した。

入学に際して撮ったクラス写真。他の子供たちにはこれが、これから増えていくだろうたくさんのクラス写真のうちの最初の1枚。
でも景子には、これが最初で最後のクラス写真。

真新しいランドセル、真新しい服、真新しい筆箱。

妻は「こんなにつらい入学式はない」と言ってまた泣いた。

この頃、景子は抗がん剤の副作用により、骨がボロボロで歩けなくなっていた。
車椅子で学校に通った。
頭には毛が一本もなかった。
頭を開いて手術したので大きな傷があり、目の周りは青いアザができていたパンダのようになっていた。
それでも学校に行くのは楽しそうだった。

がんはその頃は全身に転移していた。
痛みが激しく、医師はモルヒネを使って治療すると言った。

そんな時も景子は勉強する、と言う。
「だって、今勉強しとかないと、将来、学校に行けなくなっちゃうよ」

ひらがなを書く練習をしたいと言うので、
妻と私は、景子を両側から抱きかかえ、腕を支えてやる。
景子は「ふー」「ふー」とため息をつきながら、ゆっくり、ゆっくり、ひらがなを書く。

ふつうの子どもなら数十秒で書いてしまうひらがなを、ゆっくりと書く。

景子にはこうへいという弟がいた。
景子が長く入院しているとき、こうへいは言った。「お姉ちゃん、具合悪そうだね。いつ家に帰れるの。お姉ちゃんが帰ってきたら、またシャボン玉をやるんだ」。

景子の最後の時に、まだ幼いこうへいを立ち会わせるべきか私はずっと悩んでいた。
こうへいも一緒に、家族全員で看取ることに決めた。


景子は、お嫁さんが好きだった。
結婚式に行ってお嫁さんを見ることが好きだった。
だけど、結婚式というめでたい席に、こんな病気の子どもが出席するのは喜ばれない。

景子と一緒に写真を撮ってくれたお嫁さん達。
彼女たちはみんな看護士さんだ。景子の病気のことを知っていて、景子を受け入れてくれた。

ある時、景子が聞いてきた。
「私の王子様はどこにいるのかなぁ」

入学式から3ヶ月ほど経った授業参観の日、私はしばらく学校に行ってなかったのでこの日を楽しみにしていた。
だが景子は体調が悪く、つらそうだった。

「今日は学校行くの止めようか?」
「ううん、行く。お父さん来るでしょ」

授業参観では、景子は積極的に「はい」と手を挙げてがんばっていた。

授業が終わり、いつもなら家に帰るのだが、この日に限って景子は「幼稚園に行く」と言い出した。
弟のこうへいを迎えに行くのだが、それに付いて行くというのだ。

幼稚園でお世話になった先生に会うとき、それまで車椅子に乗っていた景子は、突然「おんぶ」と言って私の背中に乗った。

懐かしい先生に会い、お別れする時、景子は私の背中ごしに手を振って「さーよーうーなーらー」とか細い声で言った。
背中ごしに見た景子の手は、本当に細く、小さくて「あぁ、もう終わりなんだぁ」。

その日の夜、景子は突然痛みに苦しみだし、猫のように背中を丸くしていた。
翌日、緊急入院したが、午後8時すぎ、景子は息を引き取った。

こうへいは、小さいながらも景子の死を悟ったのか、景子の足をつかんで振り動かし、「お姉ちゃん、お姉ちゃん、起きてよ、起きてよ」と泣き叫んだ。

景子の出棺、妻は景子に小さなウエディングドレスを着せ、頭にはかつらとリボンを付け、お化粧を施した。
喪主として、最後に棺の蓋を閉めた時、景子の目から一筋の涙が流れていた。

たぶん分泌物だろう。


心の中で「景子ちゃん、ごめんね。助けてあげられなくてごめんね」と謝った。


ある人から、景子のことで「お子さんが天国に行かれて良かったですね。」と言われた。
この人は何を言ってるんだ。子を死なせて何が良かっただ。頭にきた。

ところが、この人は若い頃病気をして、子どもを産めない体になっていたのだった。
この人が言いたかったことが分かった。

困難な問題が有る。
それを何とかいろんな方法で解決してゆこうとする。
解決した時、感謝の気持ちでいっぱいになる。

難有り、   だから有難うという気持ちが起こる。




今、自ら命を絶とうとしている人がいたら、その人に言いたい。

あなたが死んだら、あなたの家族がどれだけ嘆き、悲しむか。
絶対に、お父さんお母さんより、早く死んではいけない。
絶対に、お父さんお母さんより、早く死んではいけない。


posted by hyg-27 at 00:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記帳  | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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